伝統芸能の継承者たち

吉右衛門さんの“俊寛”とフェリーニの“道”【伝統芸能の継承者たち】


名古屋では恒例の顔見世が開催中である。吉右衛門さん当たり役である俊寛をいちばんの楽しみに観劇してきたが、正直に言うと、俊寛のような演目は昔は苦手だった。特に子供のころは、歌舞伎といえば綺麗な衣装とキッチュなデザイン、舞台の華やかさを目にすることが楽しみで、ストーリーは二の次だった。大人になってやっと、ストーリーも理解して観るようになったものの、やっぱり俊寛とか法界坊のような“きちゃない”格好のお坊さんという設定は、観ていてもあんまり楽しくなかったのである。


さて、今回の吉右衛門さんによる俊寛。最後、俊寛が一人島に残されて、去り行く船を見送るシーンでは、はからずも落涙してしまった。一緒に行った友人がビックリして私をのぞきこんできたので「大人になったらわかるよね、俊寛の悲哀が」と答えたら、不思議そうな顔をしていた。
なぜ落涙したのか。ストーリーも主人公のキャラクターもなにもかも、まったく違うお話なのに、なぜだかフェリーニの「道」と重なったからである。フェデリコ・フェリーニによる「道」(La Strada)は、古いイタリア映画で、アンソニー・クイン演じる粗野で乱暴な男と、頭が弱いけど心根のやさしい女(フェリーニの奥さんのジュリエッタ・マシーナですよね)のお話。さんざん働かせて利用したあげくに捨てた女が、数年後すでに亡くなっていたことを偶然知った男は、声をあげずに泣く。この最後の男が泣くシーンが私は印象的で、打ちのめされた男の後ろ向きの姿をカメラは追っているだけなのに、その男が声を出さずに泣いているのがわかるのだ。本当に悲しい時、男はこうして泣くのだろう、と私は今でも思っている。


吉右衛門さんの俊寛は、最後は客席に顔を向け遠くを見る姿で幕がひかれるが、間違いなく吉右衛門さんの心は泣いている。絶望的な孤独感と世の中の無情に、涙もなく泣いているのである。先に、俊寛のような物語は大人になってからはじめてわかる舞台だと書いた。結局のところ「俊寛」も「道」も、絶望感であり、人生の絶望感を少しは味わったことのある私のような年齢じゃないと理解できないのかもしれない。「俊寛」の声なき涙は、フェリーニの「道」の男の後ろ姿と重なりあい、わたしはしばらく放心していた。俊寛の後の演目が明るく滑稽な「太刀盗人」であったことが、せめてもの救いだった。