伝統芸能の継承者たち

小三郎さんと魯山人とブラジャー【伝統芸能の継承者たち】

日曜日にミッドランドスクエアで催された「狂言の宴」に出掛けてきた。狂言を観るのは何年かぶり。最後に観たのは確か例のお騒がせの自称和泉流家元のあの方の舞台だったような気がするので、本当に久しぶりの狂言である。今回は名古屋在住の「本物」の能楽師和泉流狂言方、野村小三郎さんの舞台である。狂言は、なんといってもコミカルな内容が多いのと、現代の口語に近いので聞き取りやすく、特に説明を聞かずとも舞台に集中して楽しむことができる。難しいモノはからっきし苦手な私でも、予備知識なしに観ることができた。伝統芸能に興味はあるけど、難しそうと思っている人の入門には狂言が一番入りやすいのではないかしら。


この日の演目は、「三本柱」と「井杭」。間に素囃子「神楽」が入った仕立てであった。狂言はどちらも可笑しみにあふれていて、わかりやすい内容で十分に楽しむことができた。人間の意地悪な部分や滑稽な部分がお話の題材になっているので、溜飲が下がると言ったらいいだろうか。なにかスカッとした気分にさせてくれる。若手注目株の野村小三郎さんの丁寧な仕舞いの舞台に、気持ちの良さを感じた一日だった。ミッドランドホールという特殊空間での舞台に、きっと細かなご苦労をされたと拝察する。今度は能楽堂の檜舞台でぜひ拝見しようと思う。
素囃子の「神楽」では、これまた久しぶりに気持ちの良い音に出逢うことができた。後藤孝一郎さんの小鼓の音が素晴らしく、なんとも言えない円熟味があるのだ。母と舞踊を観に行き、鼓の美しい音色に出逢うと、いつも母が「あぁ気持ちが良い、頭から音が抜ける気がする」と言う。今日、私が感じた気持ちよさは、母が言うあの感覚と同じようなものかしら。小説「きのね」(宮尾登美子)で主人公が舞台の上で打ち鳴らされる柝の音を聞き、じんわりと感じ入るというシーンを思い出した。ミッドランドホールの音響は決して良いとは言えなかったけど、それでもあの円熟味のある音を鳴らすのだから、さすがに年季の入り方が違う。これまた、次回は是非能楽堂で拝聴したいものである。


ミッドランドで狂言を観た後は、JR名古屋高島屋10階で催されている「魯山人展」へ。いやいや、すんごい人でした。魯山人って人気あるんですね〜。今回はポルトガルから里帰りしたという絵画作品が目玉で、明らかに琳派の影響を受けまくったと思われるレイアウトの大きな作品だった。かの伝説の料亭「星岡茶寮」のために作陶した陶器もたくさん展示されていた。鑑賞用と料亭で使用するための器では、まったく作り方が違うので、改めて現物を見てびっくり。正直に言うと、実際に星岡茶寮で使われていた器を見ても、あまりピンとこない。なぜかしら。多分、料理が盛られて「ナンボ」の器だから、料理と共に愛でなければ意味がないからかな。と考えていたら、展示されている物と同じ器に「辻留」の料理人が作った料理が盛られた写真が奥に飾られていた。でも〜やっぱり写真じゃ伝わらないんですぅ〜。器と料理のバランスの良さが。
器は料理のキモノであるという魯山人の言葉に、恐れ多くも言葉を付け加えさせていただくなら、器は料理のキモノであり、実際に使って愛でてこそ意味のあるもの、ということですね。キモノだって、美術館で飾られているよりも、実際に帯や小物と合わせて着こなしてこそ、素敵だなと思えるものですもの。
魯山人の器はもちろん入手できないけど、せめて「うつし」くらいは手に入れて、お料理に精を出してみようかな〜と妄想しながら鑑賞が終わり、気づいたら夕方。すっかり陽も暮れておなかも空いていた。連れと共に発した言葉は「ね〜ね〜、これからなに食べる〜?」はてさて、魯山人鑑賞効果があったのかどうか・・・。


さて、日にち変わって小三郎&魯山人鑑賞の2日後、時計の電池交換のため同じくJR名古屋高島屋の10階に訪れた。2日前とまったく同じエスカレーターで昇っていくと、そこには老若問わず女性の黒山だかりがっっ。天井からぶら下がっている看板には「半期に一度!ワコール大感謝セール」と書いてあるではありませんか!あれ、ここ、2日前には魯山人の展覧会やってたとこだよね〜と思いながら、女性の黒山だかりを横目で鑑賞しつつ、半期に一度の言葉につい心惹かれるワタクシ。ふらふらと黒山の中へと吸い込まれると、そこで、うら若き女性同士の会話が聞こえてきた。「これは〜勝負下着で、こっちは普通の日用にする」「その色だとキワドクない〜?」ふむふむ、勝負用と普通の日用で使い分けてるのか〜と観察しながら、とある理由で勝負下着を必要としないワタクシは、結局何も買わずにスルー、女性の蠢きを後ろにして時計売り場へと急いだ。それにしても、魯山人の高尚めいた会場が、2日後には欲だらけのブラジャーの山になるとは、百貨店というのは本当に面白い空間でございますね。