徒然なるお仕事

8月31日オンナ、30年変わらず【徒然なるお仕事】


んっあ〜、バタバタでした。まさに8月31日、夏休み最後の日に、幾つも重なった〆切を終えて、スッキリした夜を迎えておりまする。思えば小学生の頃から8月31日の夜は地獄だった。溜まりに溜まった宿題をやらなくちゃと言いながら、お尻に火がつくのが29日くらい。そこから3日間はラジオ体操にも行かず、プールにも行かず、ひたすら勉強机に向かって宿題を体裁だけ整えるというインチキをやっていたものだ。
ややこしいのが夏休み一研究なるものだった。今の子供たちもそうだと思うんだけど、夏休みの間にひとつテーマを決めて、それについて研究してまとめあげるというもの。忘れもしないのが中学2年生の夏休みの一研究だった。私はお絵描きが好きだったので、喜怒哀楽の4つの感情を絵と文章にし、パネルに仕上げるという研究を選んだ(今思えば、それって広告じゃん!)。ところが、である。8月31日の夕方になっても、喜怒哀楽の4枚のパネルは用意してあったが、絵が一枚も仕上がっていなかった。「明日は始業式だしぃ〜、明後日くらいまでに作ればなんとかなるっしょ」と思っていたのだ。
運悪く、その日は父の帰宅が早かった。晩酌をしながら父がなにげなく「そういえば一研究って何やったんだっけ?」と聞いてきたのである。正直に何も出来ていないことを告白すると、父は烈火の如く怒った。飲んでいたお酒も食事もそっちのけで、お説教が始まってしまった。たとえ内容が貧弱だろうと、期日を守るということが世の中で一番大事なのだと。人間すべての人に与えられた時間は一日24時間だと。それは天皇陛下だってジュリー(当時私はジュリーのファンだった)だって同じだと。こんこんと説教されてしまった。父の言うことはいちいちごもっともだったので、しくしくと涙を流しながら下を向く私。


お説教が終わったのは20時くらいになっていただろうか。父は食事もろくにしないまま、私のパネル作りを手伝い始めてくれた。そこからおよそ3時間あまり、4枚のパネルはかなり貧相な仕上がりではあったものの、とりあえず体裁が整い、無事に上からビニールを貼って完成した。怒られたショックとギリギリでやり遂げた感の両方で、その夜はほとんど眠れず、翌朝、目をパンパンに腫らしたまま学校へ。
いつもの始業式なら、なんとなく挨拶して学校集会して終わりのはずなのに、その日に限って担任の先生は夏休み一研究を提出しろと言うではありませんか!同級生たちのほとんどが、やはり一研究は完成しておらず、学校に持ってきていなかった。完成させて持っていったのは、私ともう一人(この彼女は成績も良い優等生)だけだったのである。先生は壇上で昨夜の父とまったく同じ事を言った。そして「一研究はクラスの中で一番優れた内容の生徒を発表することになっているけど、今年に関しては内容を見るまでもなく、コンドウさんとFさんに決まりだな」ですと!!!!!


この後しばらくは父に頭が上がらなかったなぁ。30年たった今では、そんなことはころっと忘れて、チクチクと父をいじめる側にまわっているのだけれどね。毎年8月31日になると、父が畳にへばりつくようにしてパネルを丁寧に貼ってくれる様子を思い出すのである。文章を書く仕事についてからも、〆切だけは必ず守るというのが私の中の最低限のルールになっている。今までに〆切を黙って破ったことは、多分一度もない(もしもあったらごめんなさい)。これも8月31日の教訓が生きているのかなぁ・・・。だとしたら父に感謝しなくちゃ。


というわけで、1週間はほとんど家に籠る日々だった。さりとて買い物に行く時間も作る余裕もなかったため、冷蔵庫にある保存食でつないでいた。冒頭の写真はその保存食を入れている容器。大好きな作り手のスティルトンの陶器が保存食入れになっている。


こっちはショウガの甘酢漬け。
新ショウガの季節に多めに買って、ひたすらみじん切りし、
それを甘酢に漬け込んだもの。
ご飯にのっけるだけで、美味しくて体に良いおかずになります。


こっちは自家製の梅干し。
大きな南高梅を一日一個食べれば、夏バテ知らずです。
昆布と蜂蜜を使ってほんのり甘く。
低塩なので冷蔵庫で保存してます。


原稿〆切の山を終えて一区切りした今夜は、
足長おじさま&足長おばさまが、美味しいお店に連れていってくれました。
長い粗食に耐えた後の舌は、びっくりするほど敏感になっている。
今夜のお吸い物は出汁の味がすごぉ〜くよく分かりました。
こういう喜びがあるから、粗食っていいなぁと思えるわけです。