おうちごはん

はじめてのケニア料理【おうちごはん】


GWが文字通り黄金だった人もいぶし銀だった人も、はたまた私みたいにごく日常的だった人にとっても、ついぞ大型連休は終わりを告げる。皆さん、いかがお過ごしでしたか?私はと言えば、ほとんどの時間を父と母と過ごして雑事をこなし、間に仕事のロケハンと少しばかりの校正チェック作業をはさんでいたら、連休なんてあっという間に過ぎてしまった。せっかくお誘いいただいた、カラーアナリスト由美子さん宅のガーデンバーベキューやら、広告デザイン会社社長の岡田クン宅のパーティーやら、グラフィックデザイナー上田さん作のお茶碗でいただく津島のお茶会やらには、結局うかがうことができなかった。お誘いくださった皆々様、懲りずにまた遊んでくださいね。


身内との時間だけで黄金週間が去ろうとする最後の2日間は、これまた身内の姪っ子&甥っ子&姪っ子友人と卓を囲むことになった。姪っ子アユミの友人ケリーがコロラドからわざわざアユミに会うためだけに3度のトランジットの果ての名古屋にやって来たのだ。アメリカのウィノナ出身であるケリーは、海のない所で生まれ育ったため、小さい時から魚を口にした経験がない。ツナ缶でさえ拒否反応だと言う。野菜もごく一部しか食べられない。彼女の来日前から、姪っ子アユミは「ケリーに何を食べてもらったらいいかなぁ」とかなり悩んでいた。はじめて日本にやってきた外国人にはベタかもしれないけど、スシ、テンプラ、スキヤキ、シャブシャブ、サシミといったラインナップをやっぱり食べて欲しいじゃありませんか。しかし、今なら旬の桜海老やホタルイカのサシミ、白魚や頭のついた鮎の稚魚のテンプラなんてケリーにとってはとんでもなくアンビリバボーなのである。実際、スーパーマーケットに連れていき、魚売り場の前を通った時、ゆでタコやら生の海老(生なので殻が茶色のもの)を見て、オェ〜っとしていたらしいのだ。言ってみれば、私とは違った意味での正真正銘!肉食女子である(爆)。


で、結局どうなったかというと、アユミとケリーが我が家で私に料理を作ってくれるという顛末になった。ケニアの料理だという。アユミがアメリカ留学時に、ケリーと親友になり、共通の友人であるケニアの学生からケニア料理をたくさん教えてもらったのだとか。ケニアはおろか、アフリカの料理を食べたことがない私にどうしてもケニア料理を食べさせたいと作ってくれることになったのだ。


彼女たちが作ってくれたのがこのメニュー。
左からチャパティー、トマトとタマゴとタマネギの炒め物、ほうれん草とタマゴとタマネギの炒め物、トマト&ニンニクジュースでマリネした牛肉焼き。好きな具をチャパティーに巻いて食べるといったメニューで、どれも同じような食材を使っている割にはそれぞれに違った味になっていて、とってもおいしかった。味付けは塩だけだとのことで、かえってそれが素材の味を引き立たせているのかもしれない。インドで食べられているチャパティーがアフリカでも普通に食べられているなんて驚きだし、トマトとタマゴの炒め物は中華にもあるメニューなのでこれまた驚いたけど、結局すべての食は国境や海を超えてつながっているわけなんですね。特にチャパティーはとってもお気に入りになったので、作り方をちゃんと教えてもらおっと。今度、またまた食の実験でチャパティーパーティーしたいと思っている。



この翌日には、ジャパニーズバーベキュー「焼き肉」のお店へ。日本で食べた食事で何が気に入ったかをケリーに聞いたところ、「しゃぶしゃぶ」がベストでポン酢もお気に入りになったと教えてくれた。鍋を真ん中にして皆で卓を囲むスタイルが気に入ったとのことだったので、それなら日本の若者のごちそうである焼き肉に行こうということになったのだ。
ケリーに会うまでは、ノーテンキなイメージが強いアメリカの若者(大変失礼な表現ですみません)を想像していたけれど、実際に会ってお話した印象は、知的で言葉数が少なくシャイな22歳の女性だった。どちらかというとアメリカ人というよりイギリス人っぽい。一方、姪っ子アユミは幼少〜小学校をバルセロナとロンドンで過ごし、特にロンドンでは人種差別を受けて悲しい思いをした経験があるからか、極めて内弁慶な性格になった。当初はアメリカ留学にも消極的だったほどだ。そんなアユミがアメリカで得た友情は、シャイな感情がベースにあったのかもしれない。


アユミの大切なお友達であるケリーに私がプレゼントしたのはコチラ。「けりぃ」という名前と桜の花をモチーフにした「手作りはんこ」。もちろん作り手は「月のののうさ」のミカコどんである。ケリーは最後に私と別れる時、あのスタンプをいっぱいいっぱいいろんな所に押しまくりますね、本当にいろいろとありがとうと、とても恥ずかしそうにお礼を言ってくれた。たった2晩触れ合っただけだけど、いつでもどんな人とでも、別れ際というのは寂しくてせつない瞬間である。